この記事の要点
- 鏡の前で表情をくり返す練習(百面相)は、拘縮と病的共同運動を強めることが分かっています。動かす練習ではなく、なでるマッサージに切り替えます。
- 筋肉の強化訓練を行っても、半年後、1年後の点数は変わらなかったという研究があります。回復を早めず、後遺症の面では不利です。
- 筋肉を強く収縮させる電気刺激は、2011年の手引きで「行わないよう勧められる」とされ、2023年版では推奨文そのものが削除されました。是非は定まっておらず、当院は使いません。
この症状の正体
顔面神経麻痺で、多くの方が最初にすることがあります。鏡の前で、額にしわを寄せ、目を閉じ、頬をふくらませ、口をすぼめる。動かない顔を、動かして取り戻そうとする練習です。気持ちはよく分かります。ところが、この練習が後遺症を強めることが、研究で分かっています。
理由は、神経の伸び直し方にあります。傷んだ神経の線維は根元から少しずつ伸び直しますが、このとき本来とは違う筋肉につながってしまうことがあります。再生の途中で顔の筋肉を強く、何度も動かすと、この誤ったつながりが起こりやすくなり、口を動かすと目が閉じる病的共同運動と、顔がこわばる拘縮につながります。
つまり、動かす練習は「神経が正しくつながる前に、間違ったつながりを練習している」ことになります。これが、百面相をしないでくださいと最初にお伝えする理由です。
なぜ鍼灸が関わるのか
鍼灸院がこの話をする理由は、患者さんの多くが、受診の間の時間を自己流の練習で埋めてしまうからです。耳鼻咽喉科の受診は数週間に1回。その間に毎日何をするかが、後遺症を左右します。当院は週1回前後お会いするので、練習の内容を毎回確かめ、間違った方向に進んでいれば止める役割を担えます。
鍼灸の施術そのものも、同じ原則の上にあります。急性期と後遺症の段階で、筋肉を強く収縮させる刺激は使いません。顔の筋肉への鍼は浅く、ゆるめる方向です。神経の通り道にごく弱い電気を流して反応を確かめることはありますが、筋肉をくり返し強く動かす目的の通電は行いません。
動かす練習の代わりにお伝えするのが、なでるマッサージです。顔を温め、手のひらで額から頬へ、口のまわりを外へ向かってやさしくなでる。筋肉を動かすのではなく、ゆるめる。完全麻痺の方で、動かす練習を続けた群とマッサージで動きを抑えた群を比べた国内の研究では、1年後の拘縮の点数と総合点が、マッサージ群の方が良好でした。
補足
マッサージは「治す」ためではなく「こわばらせない」ためのものです。強くこすったり、痛みが出る強さで押したりする必要はありません。手のひら全体で、温めながら、ゆっくり。
鍼灸の前に確かめること
初回と、4週ごとの測り直しで、いま行っている練習の内容を確認します。
- 鏡の前で表情をくり返していないか。1日に何回、どのくらいの強さで
- 力いっぱい目を閉じる、頬をふくらませる練習をしていないか
- 家庭用の電気刺激の器具を顔に使っていないか
- ガムを噛む、ストローで吸うといった「動かす」工夫を自己流でしていないか
- マッサージの方法と強さ。痛みが出る強さでこすっていないか
- 目を閉じたとき口角が動く、口を動かしたとき目が細くなる(共同運動の芽)が出ていないか
共同運動の芽が出ている方は、その動きを避ける練習に切り替えます。たとえば口を動かすと目が閉じる方には、口を小さく動かし、目が閉じないことを鏡で確かめながら行う練習です。
ご注意
インターネットや動画で見た「顔面神経麻痺のリハビリ」の多くは、強く動かす方向のものです。始める前に、主治医に相談してください。まだ受診していない方は、練習や鍼灸より先に耳鼻咽喉科の受診をお願いします。手足のしびれや言葉のもつれを伴うときは、すぐに救急車を呼んでください。練習のやり方は、当院でも一緒に確かめます。
どこに、どういう狙いで鍼をするか
この解説は練習と刺激の是非が主題なので、当院の鍼の原則を書きます。
顔の筋肉には浅い鍼を置き、ゆるめる方向に働きかけます。こわばり始めた筋肉、共同運動で強く縮む側の筋肉が対象です。動かない筋肉に軽く反応を引き出す鍼をすることはありますが、くり返し強く収縮させることはしません。
神経の通り道には、急性期にごく弱い電気を流して反応を確かめ、反応が明瞭な方には再生の後押しとして続けます。これは筋肉を鍛える通電ではなく、神経の通り道の循環を目標にした、トントンと脈打つ程度の刺激です。
首と肩、手の部位を加えます。顔の緊張は首の緊張と連動し、動かない顔をかばって首肩に力が入っている方が多いためです。
表情の練習は、強さより正確さ

時期と通い方の目安
練習の内容は、時期で変わります。
- 発症から2週間(急性期):動かす練習はしない。目の保護と、温めてなでるマッサージ。薬の治療が主役
- 2週間から数か月(回復期):動きが戻り始めたら、口だけ・目だけをゆっくり単独で動かす練習に切り替える。共同運動の芽が出たら、その動きを避ける練習を優先
- 半年以降(後遺症):力いっぱいの表情練習はこの段階でも逆効果。こわばる筋肉を伸ばすマッサージを毎日。共同運動が生活に影響していれば、ボツリヌス毒素の注射や手術を主治医に相談
どの時期も、マッサージは1日2回、各2〜3分が目安です。多ければよいわけではなく、毎日続けることに意味があります。
なでるマッサージ(動かす練習ではなく、ゆるめる目的)

分かっていること(研究の報告)
数字は「研究でそういう報告がある」という意味で、効果を保証するものではありません。効果には個人差があります。
- 完全麻痺の方で、表情を動かす練習を続けた群と、マッサージで動きを抑えた群を比べた国内の研究では、1年後の拘縮の点数と総合点が、マッサージ群の方が良好でした。動かす練習で拘縮が悪化することが示されています。
- 表情筋の個別の強化訓練を行った群と行わなかった群で、6か月後と12か月後の点数に差がなかったという無作為化試験があります(2020年)。強化訓練は回復を早めませんでした。
- 筋肉を収縮させる低周波の電気刺激は、2011年の手引きで「行わないよう勧められる」とされました。2023年のガイドラインでは推奨文そのものが削除され、是非を明確にできないという扱いです。
- 電気刺激が共同運動を増やすかどうかを調べた研究をまとめても、一定の結論は出ていません(2026年)。研究ごとに時期、重症度、刺激の方法が違うためです。
ポイント
電気刺激は「推奨する・しない」で決着がついた話ではありません。時期、重症度、目的を考えて判断する領域です。当院は、後遺症を強める懸念が長く指摘されてきた以上、筋肉を強く収縮させる刺激は使わないという立場をとっています。
あわせて行うこと
- 鏡の前の百面相をやめる。表情の練習は、動きが戻り始めてから、口だけ・目だけをゆっくり単独で
- 温めてなでるマッサージを1日2回。蒸しタオルで温めてから、手のひら全体で額から頬へ、口のまわりは外へ向かって
- 目を閉じきれない間は、点眼と就寝時の保護を続ける
- ガムを噛む、口を大きく動かす、といった自己流の「動かす工夫」はやめる
- 共同運動の芽(口を動かすと目が細くなる)に気づいたら、次回に必ず伝える
急性期、回復期、後遺症のそれぞれの考え方と、柳原法での測り方は、各解説にまとめています。